
「海上に漂う蒸気に含まれる水分やミネラルが皮膚や呼吸器によさそうだ」というのが始まりでした。
車窓や宿泊、食事の窓から 思わず海の眺めに出くわしたとき「ぅわぁー 海だ」って誰もが思ってしまうでしょう?
小さな獣道を歩いていてもしそこに海があってもやはり「うぁー海に出た」って思うでしょう?
海ってこちらの想定していないなにか度外視的なパワーが シード権みたいなものがあるような気がしていました。
幼い頃より高台に住んでいたので、ちょっと努力すると海が見え、努力しなければ海は見えない山がちな場所でした。
そういう空想的な 情緒的なものを超え、海の位置が私にとって高くなったのは 海自体の価値が高いことを知ったからです。

海がスバラシイのは、地球や月がもたらす 潮や波 風や空気 太陽の光と大気がもたらす景観だけではありません。
海を利用してきた人間、人類の英知が この数千年の短い間に連綿と積み重ねられ
科学技術の発達と共に進化しつつも、航海や気象に関する技術は普遍的で極めて純粋な学問で、系統だった知識体系を成していること、
派生した産業から人類が与っている恩恵は多様ながらも
直接的なものは 安全な航海や効率的な航行など 極めて単純で重要なことに他ならないという代え難い人類の遺産だと私は考えています。

このような 純粋で無駄のない大切な知識・技術体系を存分に体現している人々は、
自身でも海に大変な魅力を抱き、不安や希望の時をすごし、その尊い人類の普遍と戦いの一瞬を紡いでいるのだと私は思うわけです。
これは、患者さんがどう思うか、ある病態の人がうまく回復するか...というように究極的には人間の個を追究する看護学や医療のサービス、専門分野に特化してしまった医学や治療とは似て非なる要素があるように感じます。
例えば船長のような船に起こる全てに責任を持つ人が病院にはいますか?また、医師や看護師がどれだけ親身になって熱心になっても、患者の命の小船に同乗するほどわが身の危険もありません。病院の中では実際の労働や作業や責任は細分化されていくばかりで、患者の身にその結集が統合された結果を見出さなければなりませんがどうしてもそれは分かりにくいです。船や海の仕事には人が行う事柄の大切な要素がシンプルにあり、その結果が率直に返ってくるようにみえます。
そういった仕事や学問の難しさはあるとは思いますが、
現代のような複雑で日和見で、全てが人の顔色や心の移ろいに変わり身を強いられる世の中では、とても生きやすく わかりやすく 清々しいものとしても貴重なのではないでしょうか。
普遍的で着実な海の研究や知識・経験の体系を形作ってきた経緯を思うだけで、自ずと感動できるものがあります。